『哀愁しんでれら』(映画)【レビュー】

作品概要

土屋太鳳×田中圭!
シンデレラストーリーのその先を描く、禁断の“裏”おとぎ話サスペンス
主人公の小春を演じるのは、可憐な美しさの奥に秘めた芯の強さと、高い身体能力で、青春映画のヒロインを溌剌と演じてきた土屋太鳳。天真爛漫なイメージの強い彼女が、本作ではその真っ当さゆえに狂気に絡め取られる26歳の女性を演じ、新境地を開拓した。大悟に扮するのは、『おっさんずラブ』で大ブレイク以降、最も忙しい俳優として走り続けている田中圭。ルックス、財力、人当たりの良さ、社会的ステイタスのすべてを兼ね備えたパーフェクトな王子様がときおり見せる歪な気配をさりげなく増幅させて、スクリーンというキャンバスの上で作品の陰と陽を自由自在にコントロールする。ヒカリ役でスクリーンデビューを飾るのは、8歳で63万人以上のフォロワーをもち、国内外から注目を集めるファッションインスタグラマーのCOCO。芝居をするのは本作が初めてながら、少女の可愛らしさ、残酷さ、凶暴さ、愛くるしさを全力で表現し、強烈な存在感を残す。小春の妹を山田杏奈が、父を石橋凌が演じ、大悟の母に銀粉蝶が扮している。

公式HPより

感じたこと

・親になることと、親でいることの違いを考えさせられた

・最後は賛否両論ある結末だけれども、行き過ぎた愛情の表現だと感じた

全体としては、パンフレットを見なければ明かされないような謎があったり、小春の母が蒸発した原因や、大悟を育てた父親の姿が描かれなかったりと、大事な部分が欠落しているように思えたので、作品として決して高評価ではありませんが、小春と大悟が抱く母親に対する感情については思うことがありました。

シンデレラストーリーゆえに、小春と大悟を繋げる共通点が、観客にはあまり提示されないまま、二人は結婚するわけですが、後々、あることがきっかけで、両者とも

「子供の将来は、その母親の努力によって決まる」

という、ナポレオンの言葉を信条に生きていることが明らかになります。本来この言葉は、ナポレオンが実の母へ尊敬の意を込めて発した言葉らしいのですが、小春と大悟にとってこの言葉は、それぞれが幼少期に受けた母親からの仕打ちに対する、行き場のない怒りのようなものを一言で正当化してくれる、便利な言葉にへと置き換わってしまっているように感じました。それゆえに、彼女たちの中では、自分たちの母親は努力を怠った存在として規定されており、また、「子供のためには努力を続けなければ親ではない」、といったような変な方程式が、両者とも内面化されてしまっているように思いました。それが端的に表現されていたのは、子供の気持ちは一切関係なしに、ただ自分が精いっぱい努力することだけが意識された、小春の夜のブランコの場面だと思いました。

一方で、それとは対照的だったのは、小春の父でした。ヒカリのことを母親として一生懸命に理解してあげようと努力する小春に対し、「理解しなくてもいいんじゃないか?俺だって小春のこと分からないけど、それでも父親だ」、というようなことを言っており、とても印象的でした。また、大悟の母親も、「母親に“なる”ことと、母親で“ある”ことは違う」とのセリフがありましたね。

おそらく誰しもが、親に対するトラウマや、トラウマとまではいかなくとも一種の嫌悪感のようなものは、必ず一度は抱くと思います。その親に対する心情を、自分の中でうまく咀嚼し、親も親以前に一人の人間だったんだと理解できた時には、子育て中も、無理なく親で“いられる”のかもしれませんが、親へのひっかかりのようなものを解消しきれずに、子育てに向き合ってしまうと、現実には存在しようもない理想の親の姿に“なろう”としてしまい、おかしな方向へいってしまうのかなと、思いました。もちろん、自分も含めて、親を完全に理解しきったり、親への感情が完全に消えたりすることはないので、日々、色んな感情と向き合い、バランスをとりながら生きているのが現実なのだと思うのですが。

なお、この映画の結末には賛否両論ありますが、私としては「行き過ぎた愛情の結末」のメタファーとして受け取りました。もちろん、肯定できるものではありませんが。

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