『ヤクザと家族 The Family』(映画)【レビュー】

感じたこと

・正義という刃でめった刺しにすることが正しさなのか

・他者を受け入れ、受け入れてもらうことが愛情であり家族の根底だと信じたい

本作は、1999年、2005年、2019年と3つの時代を描いていますが、まさにこの20年間は、ヤクザにとって激動の20年間だったようです。1992年に暴力団対策法が施行され、2009年には全国初の暴力団排除条例が制定され、最近では「闇営業」や「反社」という言葉が世間を騒がし、それにかかわったとされる著名人達が「不適切」という理由で、お茶の間から次々と姿を消したことは記憶に新しいと思います。いつの間にかヤクザは、社会にとっての「必要悪」と呼ばれていた存在から、この世から排除されなければならない「絶対悪」にへと変化してしまったようです。劇中、とある重大な事件により主人公である、山本(綾野剛)は14年間の懲役となりますが、それを終え、2019年に釈放された際、そのヤクザをとりまく変化しすぎた状況に、ただただ驚き、そして次第に絶望していきます。ヤクザを抜けたとしても最低5年間は、まともな職にはつけず、ケータイすら自分で契約できないという不条理で少し変な世の中に変わってしまっていました。私個人としては、このような状況は何となく知ってはいましたが、実際に困っている人を目の当たりにし、これまでの自分の想像力のなさを考えさせられました。今、この社会が排除しようとしているものは、ヤクザというシステムから生み出される悪行なのでしょうか、それともヤクザとかかわりのある(あった)人物そのものなのでしょうか。「正義を振りかざす」という言葉がありますが、個人的には、山本たちは今の社会から「正義という刃でめった刺し」にされてしまっているような思いがしました。ヤクザから足を洗い、これから真っ当に生きようとする人間に対し、更なる手かせ足かせをかせていくことは、果たして「正しさ」といえるのでしょうか。「この世の中は正しいことしか許されない」、いつの間にか、本当にいつの間にか、そんな息苦しい世の中になってしまってきていると思います、「正しさしかない人」、そんな人はどこにもいないということは、聖書がかかれた時代から言われ続けてきているというのに…。

話は変わりますが、海辺でのラストシーンはとても印象的でした。父親に対しある共通点をもつ、次なる世代達の出会いの場面で、この物語は終わります。それはまるで、主人公である山本とユカが、はじめて打ち解けることができた、海での場面にそっくりでした。自分だけの秘密だと思っていたことが、他者と分かりあえるし、他者の秘密も知りたい。こんな気持ちがきっと愛情の一部となるのでしょうし、家族の根底にあるのではないのかと思います。この愛情といったものは、時代やそれを取り巻く状況がいくら変わってたとしても、決して変わらないものだと信じたいです。

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