家族の機能とか考えた話

先日、BS1スペシャルで「“幸せホームレス”との10日間」という番組をやっていた。幸せホームレスこと、小谷真理さんは「世界中の人々と家族になる」という目標のもと、ホームレスを続けている。小谷さんよると、血のつながりよりも、積極的にコミュニケーションをとることが家族として大切なことであり、コミュニケーションをとるためには素にならなければいけないという。

意外にも小谷さんの毎日は忙しい。大阪、東京、ある時には海外にへと、小谷さんと「素のコミュニケーション」をとりたい人々は世界中にいるらしく、小谷さんは毎日、誰かとおしゃべりし、誰かと食事を共にし、誰かに宿を貸してもらい、そして誰かと一緒に朝を迎える(その際の小谷さんの移動費や食費等は、もちろん依頼者もちだ)。小谷さん自身からは、ホームレスという言葉から思い浮かべるような悲壮感はまったく感じられず、むしろ清潔感に溢れた陽気なオジサンといった雰囲気で、私なんかは、「このような流浪の生活を続けるための手段として、あえてホームレスとなっているのでは?」という感想さえ抱いた。

さて、この小谷さんの引く手あまたな状況は、裏を返せば誰とも「素のコミュニケーション」がとれていないと感じている人々が、今この世の中に数多くいることを物語っている。番組をみていて、ふとW.F.オグバーンの「家族機能縮小論」を思い出し、インターネットで色々と調べてみた。即席の知識だが、ご紹介する。オグバーンによれば、伝統的な家族の機能は以下の7つに分かれるという。

①愛情機能、②経済機能、③教育機能、④宗教機能、⑤娯楽機能、⑥保護機能、⑦地位賦与機能

この7つの家族機能、実は近代では変化してきており、①以外の機能は外部委託化されてくるという。例えば、経済機能であれば、企業が担ってくれるようになるし、教育機能であれば学校が担ってくれる、という風に。一方で「愛情機能」のみは、外部委託化されず、家族がもつ唯一の機能であると、オグバーンは主張した。しかし、この「愛情機能」、現代社会の中で、うまく機能しているだろうか?小谷さんを求める人々を見るにつけ、家族機能は縮小から、消失しかかっているような気さえした。月並みな意見だが、自分自身の実感として1人での日常は確かに楽である、でもやっぱり誰かと分かりあえたり、分かち合ったりして生きていく方が、面倒なことも多いけど、楽しいと感じる今日この頃である。そういう意味では、「愛情機能」がはたらいてない家族の中に縛られている人が、もしいたとするのならば、無理をしてまでその「家族」のようなものの中に、とどまる必要はないのかもしれない。そんなことを思ったりもした。

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